「今日のご飯は何ですか?」
病院からの帰り道、父から聞かれて ワタシは元気よく答えた。
「焼きそば!!!」
普段B級グルメにもジャンクフードにも縁の無い両親のために
(いや待てよ?! ワタシが上手いことサボるために・・・かな?!)
時々「鍋焼きうどん」だの「焼きそば」だの作ってみる。
「焼うどんがいいな・・・」
ちょっぴりすまなさそうに父がつぶやく。
その晩、歯の悪い父のために柔らか~~く作った「焼うどん」を
父も そして母も 嬉しそうに美味しそうに食べてくれた。
「戦後間もない頃、小倉の・・・なんちゅうたか・・・銀天街の・・・・」
「鳥町食堂街?!」
「あ~~、そう!」
「今もあるよ^^」
「そう、鳥町食堂街によ~お行った。 焼うどん食べに」
「焼うどん」は、北九州・小倉が発祥だと言われている。
小倉の目抜き通り「魚町商店街」から入った小さな横丁、
「鳥町食堂街」の出口辺りにある、「だるま堂」という小さなお店がそれだ。
6年前、
公立の小学校から 平尾台の「子どもの村小学校」に転校したわが家の三番さん。
児童数はたった10人。
なかなか皆の中に入っていけず、
言葉でのコミュニケーションが苦手な彼は、ずい分しんどい思いをしただろうな。
その年の「プロジェクト」のテーマは「焼うどん」で、
一年を通して「焼うどん」を作り、食し、そこから全国のご当地うどんに興味は広がり、
作り方・食べ方のみならず 原料・製法・起源・まつわる歴史まで掘り下げ、
実際に製造して比較してみたり、出かけて行って食べてみたりと、
研究は多岐にわたった。
転校早々、チビも皆に連れられ小倉の街に繰り出し、「だるま堂」さんを取材した。
その時たまたまラジオ局が取材に来ていて、取材していた彼らが取材された思い出も・・・。
終戦後間もない小倉の街で 父が食べた「焼うどん」
70年もの時を経て、同じ「焼うどん」を 今度は孫が食べたんだなぁ。
そして、
60有余年現役を続けてきた父は、この3月をもって現役を引退し、
3月15日、今日この日をもってチビは平尾台の中学校を卒業し
(85人に膨れ上がった!)、
和歌山の「きのくに国際高等専修学校」に進むことになった。
それぞれの人生の節目、
いいことも悪いこともあっただろう、いろんなことを乗り越えて、
老いも若きも・・・・・今は気持ちよく春の風に吹かれているかな?!(^_^)
新しい春の風が吹き始めた
時にはみんなで「焼うどん」食べようよ(*^^*)
これからも それぞれの人生に佳い風が吹きますように。