2012年 12月 19日
忘れえぬ家族、忘れえぬ命 -7- |
Shinoちゃん (1)
ムスコは、2005年7月、中学1年の時に「再生不良性貧血」という血液難病であることが分かり、2008年3月、中学卒業と同時に、骨髄移植を受けるために、神奈川県のT大付属病院に入院、2度の骨髄移植を経て2008年10月1日に退院しました
ムスコが入院していた半年の間、弟は、無菌病棟はもちろんのこと、小児病棟に立ち入ることも許されませんでした
T大病院では、院内感染を防ぐために 小学生以下の子どもの病棟内への立ち入りは禁止されていたのです
8階の小児病棟は、入る手前に見舞客用のラウンジがあって、兄弟姉妹が入院中の子供たちは、母親が付き添う間中、そのラウンジで独りで待っていることも少なくありませんでした
タッキーの弟のリクちゃんとチビが初めて会ったのも 小児病棟のラウンジでした
いつだったかな・・・5月か・・・ワタシがタッキーママと話すようになってから・・・
リクちゃんとチビと 学年は違うけど同じ学校だってわかって、
ママが「ラウンジで一緒に遊びなよ~(#^0^#)」って勧めてくれてね、
その日、子供たちと遊んでくれたのがShinoちゃんでした
Daiちゃんと同じ高校2年生、
ニットの帽子を目深にかぶって、人懐っこい笑顔のきれいな女の子でした
あの時は車椅子だったなぁ・・・
ワタシは 「病棟から出てよかったのかなぁ?!」なんて思いながら、
それでも久しぶりに「楽しかった(*^∪^*)」と言ったチビの笑顔がうれしくて・・・(:_;)
それから一月ほど経って、看護師さんから勧められて、自宅から病院に通っているNao君ママとShinoちゃんママが「かもめランチ」に来られたのでした
なんていう説明がなくとも、顔を合わせただけで心が通じました
言葉にせずとも お互いの胸の内は痛いほど分かります
・・・・・本当に明るいママたちでね、
話していると、辛いこと苦しいことや不安なことはどんどん小さくなっていく、そしてパワーは2倍にも3倍にもなっていく・・・・・それを身体で感じるんです
ワタシたちは、泣きながら、笑いながら、「また病棟で」と別れました
Nao君とは準無菌室で一緒になりました
Shinoちゃんは、ムスコが無菌室から準無菌室に移るのと同時期に小児病棟から無菌病棟に移ってきました
Shinoちゃんのドナーさんは、弟クンでした
腸骨から採取する造血幹細胞をもらう「骨髄移植」ではなくて、「末梢血幹細胞移植」という方法での移植です
骨髄移植とは
骨髄は骨の内部に存在するスポンジ状の組織で、その中に多くの造血幹細胞
(白血球・赤血球・血小板のもとになる細胞)が含まれています。
骨髄移植はドナーに全身麻酔をして注射器で骨髄液を吸引し、採取した骨髄液
を患者の静脈へ点滴で注入する治療法です。
太い神経であるせき髄に針を刺すことはありません。
末梢血幹細胞移植とは
末梢血(全身を流れる血液)には通常は造血幹細胞はほとんど存在しませんが、
白血球を増やす薬(G-CSF)を注射すると、末梢血中にも流れ出します。
採取前の3~4日間、連日注射し造血幹細胞が増えたところで、血液成分を分離
する機器を使い造血幹細胞を採取し、骨髄移植と同様の方法で患者さんに注入
します。
骨髄移植推進財団 小冊子「チャンス(ドナー登録のしおり)」
Shinoちゃんの移植の前、
無菌病棟のプレイルームで みんなでUNOをして遊びました
・・・あぁ、楽しかったね、 ホント、楽しかったねぇ
ムスコが無菌病棟から小児病棟に移ることができた日、
無菌室で頑張っているShinoちゃんから、ママの手を通して手紙が届きました
〇〇くんへ
今までありがとう! UNOもできたし(❛∪<)
今までもいっぱい大変だったと思うけど、
もうちょっとがんばって!
お互い早く元気になろーね(^-^)
やさしいShinoちゃん・・・・・移植後のしんどい時に こんなやさしい言葉をもらいました
弟クンの細胞も うんとがんばってくれて生着も早くて、8月の中頃にはShinoちゃんはお家に帰ることが出来たのでした
Shinoちゃん (2)
by naunyan
| 2012-12-19 02:12
| かもめのいえ
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