2012年 11月 27日
ひかりはのこる |
タッキーのこと (4)
長いこと入院していたタッキー、ママは本当に明るく強い人でした
発病したのは小学校2年生、ムスコと同じ 特発性の再生不良性貧血でした
ムスコのようにじわじわと病状が進むのではなくて劇症だったそうですが、
ATG(免疫抑制療法)が効いて、一度は通常の生活に戻ることができました
ところが、4年生の時に、骨髄異形成症候群であると告げられたのです
造血するものの正常な形の細胞でなく、やがて白血病へと移行する恐ろしい病気です
皮肉にも、再生不良性貧血を治したATGが二次的病因となったのです
タッキーは、すでに病気の移行が進んでいて、
地元の川崎市の病院から、Yabe先生を頼ってT大病院に転院してきたのです
ワタシたちが出逢った時は、タッキーは6年生になっていました
・・・・・はじめっから強い人なんていないよね
入院した頃は、ママは川崎から通っていたといいます
それから「かもめのいえ」に入居、そしてついにはT大病院のすぐ近くに引っ越してきました
こう書いただけでも 看病する家族がどんなに大変か、想像がつくでしょう?!
しかしここには筆舌には堪えない壮絶な闘病があったのです
我が子を失うかも知れない恐怖
家庭崩壊
独りで全てを抱えるストレス
神経をすり減らし、精神状態もギリギリだったといいます
ストレスで体調に異変をきたし、言葉を失いました 話すことができなくなったのです
・・・・・そんな彼女を支えたのが、今の御主人
独りぼっちで踏ん張ってる、今にも崩れそうな彼女に、
「君のこと、タッキーも弟のリクちゃんも、そしてタッキーの病気も、全部引き受けるから!!」
彼のその言葉で、彼女は自身の言葉を取り戻したのだそうです
タッキーは、それまでに大きな入院は三度、
最後の、三度目の入院の時、はたと気付いた
「あぁ、そうか、今まではタッキーから病気をなんとか切り離そうとしてた、
・・・・でも、病気もひっくるめてタッキーなんだ
そうだ、病気もひっくるめて、全部愛してしまえばいい」
その 「気付き」 「受容」 が、彼女を楽に、そして強くしたのでしょう
タッキーママも信仰を持っています
ワタシの信仰とは違うけど、彼女と話していたら、
「なんたってマトモな宗教なら、根っこのトコはおんなじなんだな」 って思います
(マトモな宗教・・・ここ、大事よ)
2008年11月27日、タッキーは逝きました
ママは、
「タッキーはこんなにも頑張った、ホントにスゴイよね!!! 自慢の息子。
だから私は タッキーに恥じない生き方をしなくちゃならないんだ!!!」
本当にすがすがしい笑顔で言いました
何度も危険な状態を奇跡のように乗り越え、その度にShimizu先生をうならせたよね
「さすが!!! オレのタッキー\(≧▽≦)/!!」 って、
アスペルガーゆえに、人とのコミュニケーションが少し難しかったタッキー、
治療する側も最初は手を焼いたらしいけど、
そんなタッキーを楽しんで楽しんで育んできたママの愛情と熱意と説得で、
Yabe先生はじめ医療スタッフみんな、「発達障害」について猛勉強したそうです
いまや、Yabe先生は 「僕はどんな子どもでも診れる」 って、胸張っておっしゃいます
タッキーには、そんな「使命」もあったんだね
・・・・・・はじめっから強い人なんていない
そして、独りでは強くなんてなれない
現在、タッキーママは、
T大病院に入院する患児の家族を支える「ひかりのかい」を主催しています
「タッキーに恥じない人生を生きる」
タッキーが、この世界に遺したおおいなる「ひかり」、今日も明日も光り輝くことでしょう
このパンフレットは、タッキーが遺した絵(キャラクター)をもとに、ムスコが撮ったT大病院の写真を加工してムスメが制作しました。 「かもめのいえ」から見たT大病院です。
長いこと入院していたタッキー、ママは本当に明るく強い人でした
発病したのは小学校2年生、ムスコと同じ 特発性の再生不良性貧血でした
ムスコのようにじわじわと病状が進むのではなくて劇症だったそうですが、
ATG(免疫抑制療法)が効いて、一度は通常の生活に戻ることができました
ところが、4年生の時に、骨髄異形成症候群であると告げられたのです
造血するものの正常な形の細胞でなく、やがて白血病へと移行する恐ろしい病気です
皮肉にも、再生不良性貧血を治したATGが二次的病因となったのです
タッキーは、すでに病気の移行が進んでいて、
地元の川崎市の病院から、Yabe先生を頼ってT大病院に転院してきたのです
ワタシたちが出逢った時は、タッキーは6年生になっていました
・・・・・はじめっから強い人なんていないよね
入院した頃は、ママは川崎から通っていたといいます
それから「かもめのいえ」に入居、そしてついにはT大病院のすぐ近くに引っ越してきました
こう書いただけでも 看病する家族がどんなに大変か、想像がつくでしょう?!
しかしここには筆舌には堪えない壮絶な闘病があったのです
我が子を失うかも知れない恐怖
家庭崩壊
独りで全てを抱えるストレス
神経をすり減らし、精神状態もギリギリだったといいます
ストレスで体調に異変をきたし、言葉を失いました
・・・・・そんな彼女を支えたのが、今の御主人
独りぼっちで踏ん張ってる、今にも崩れそうな彼女に、
「君のこと、タッキーも弟のリクちゃんも、そしてタッキーの病気も、全部引き受けるから!!」
彼のその言葉で、彼女は自身の言葉を取り戻したのだそうです
タッキーは、それまでに大きな入院は三度、
最後の、三度目の入院の時、はたと気付いた
「あぁ、そうか、今まではタッキーから病気をなんとか切り離そうとしてた、
・・・・でも、病気もひっくるめてタッキーなんだ
そうだ、病気もひっくるめて、全部愛してしまえばいい」
その 「気付き」 「受容」 が、彼女を楽に、そして強くしたのでしょう
タッキーママも信仰を持っています
ワタシの信仰とは違うけど、彼女と話していたら、
「なんたってマトモな宗教なら、根っこのトコはおんなじなんだな」 って思います
(マトモな宗教・・・ここ、大事よ)
2008年11月27日、タッキーは逝きました
ママは、
「タッキーはこんなにも頑張った、ホントにスゴイよね!!! 自慢の息子。
だから私は タッキーに恥じない生き方をしなくちゃならないんだ!!!」
本当にすがすがしい笑顔で言いました
何度も危険な状態を奇跡のように乗り越え、その度にShimizu先生をうならせたよね
「さすが!!! オレのタッキー\(≧▽≦)/!!」 って、
アスペルガーゆえに、人とのコミュニケーションが少し難しかったタッキー、
治療する側も最初は手を焼いたらしいけど、
そんなタッキーを楽しんで楽しんで育んできたママの愛情と熱意と説得で、
Yabe先生はじめ医療スタッフみんな、「発達障害」について猛勉強したそうです
いまや、Yabe先生は 「僕はどんな子どもでも診れる」 って、胸張っておっしゃいます
タッキーには、そんな「使命」もあったんだね
・・・・・・はじめっから強い人なんていない
そして、独りでは強くなんてなれない
現在、タッキーママは、
T大病院に入院する患児の家族を支える「ひかりのかい」を主催しています
「タッキーに恥じない人生を生きる」
タッキーが、この世界に遺したおおいなる「ひかり」、今日も明日も光り輝くことでしょう
このパンフレットは、タッキーが遺した絵(キャラクター)をもとに、ムスコが撮ったT大病院の写真を加工してムスメが制作しました。 「かもめのいえ」から見たT大病院です。
by naunyan
| 2012-11-27 13:02
| かもめのいえ
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